ichijyoin0805のblog

2008年10月

先日、テレビドラマを見ていてハッとしました。

病に冒された登場人物が、死ぬ間際に「良い人生だった。みんなありがとう。」といった内容をチャットに書き込んで亡くなったら、すぐさま「勝手に死ねば。」とか、人をバカにしたような書き込みが入ってくるシーンがありました。

私はチャットはしないので、そういった経験はないのですが、恐らく実際にもこのようなことが起きているのでしょう。

私の子供の頃には携帯電話やパソコンもなく、人とコミュニケーションを取る時は、一般的には直接会話をするか、電話で話しをするか、手紙を書くかぐらいしかありませんでした。

よって、直接会話をするにしても、電話で話すにしても、手紙を書いても自分の存在は、相手も把握していますから、常に相手のことを考えながら言葉を使用する必要がありました。

子供の頃は、相手に配慮が足りなかったり、自分の言葉の使い方が下手で誤解を招いたり、ケンカの原因になったりして後悔したこともありました。ケンカになった時など、例えば相手に文句を言う場合には、その言葉を発する際にものすごい勇気が必要でした。
また、学校の用事とかで、気のある異性の家に電話をしなければならなくなった時など、親が電話に出たら何と言おうかとか、本人に何と話したらいいだろうかとか考えたりもしていました。

つまり、大人になるというということの条件の一つは、自分が発する言葉や文字に責任を持つということに外ならないと思っています。

さて、今日のネット社会においては、パソコンや携帯のネットの向こう側に確かに相手はいるのでしょうが、相手も自分も互いを把握することなしにコミュニケーションが取れてしまう場合が多々あるようです。

よって、自分の発信した言葉に対しての責任感が希薄で、どうせ相手も自分のことなど分からないのだからといった考えのもと、相手の心情を全く考えない無責任な言葉が使用されるケースが多く見られるようです。

最近起きた凶悪事件のいくつかは、そういった土壌の中から生まれてきたような気がいたします。
日進月歩で進んでいく時代の中で、人間が持っていた情緒豊かな思いやりの心が失われていくような気がしてなりません。

そういった意味でもお寺の役割は、今から先も重要なものになっていくと思います。少しでも多くの方が、仏さまの前で心の安らぎを得ていただければ幸いです。

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今日、10月15日は一乗院があります水ノ浦自治会主催の聖天様のお祭りでした。

早朝より当番の方が古い注連縄を取りにお見えになり、11時前には新しい注連縄が出来上がりました。
たくさんのお供え物もいただいて、自治会の皆様と共に御法楽を捧げて今年も無事に勤めることが出来ました。注連縄を献上した後は、公民館で女性の皆様が準備をして下さった昼食をみんなでご馳走になりました。

聖天様は正式には聖天歓喜尊と言われ、インドのガネーシャという神が日本に聖天歓喜尊として伝えられたものです。現在「夢をかなえる象」というドラマが放送されておりますが、その中の夢をかなえてくれるガネーシャという象が聖天様です。

一乗院の聖天堂は、西暦1760年に建築されたもので、屋根をはじめ、多くの部分は改修をしておりますが、柱や彫刻の一部は当時のまま残されております。現在の一乗院は、明治2年、廃仏毀釈のために本坊を雲仙より現在地に移転するまでは『歓喜庵』と言われておりました。よって、南串では一番最初にこのお堂が出来たのではないかと思います。

聖天様は真言宗最高の法会で京都の東寺で毎年1月8日から14日まで真言宗十八本山の管長猊下もしくはそれに準ずる僧正十五名によって執り行われる「後七日御修法」でもお参りされる非常に加持力の強い仏さまですが、その加持力ゆえに、お参りする際には細心の注意が必要とされています。

 例えば、御修法に於いても大阿闍梨がお参りされる大壇よりも先に聖天壇にお供えをするとか、二十一座拝む中で、お供え物の量や数が減ってはいけない等の約束事がありました。

ですから、お寺の聖天様にお参りに来られる際には、「また来月来ます」等の約束事をしないでお参りした方が良いような気がします。なぜなら約束を破った場合、昔から「バチが当たる」と言われておりますので。

お寺にお越しの際には聖天堂にも足をお運び下さい。きっと良い御加護があるのではと思います。

昨日は鹿島市の蓮厳院という真言宗御室派のお寺で仏前結婚式があり、式のお手伝いにに行ってきました。
蓮厳院のご子息が修行中、一週間ほど指導をさせていただいたご縁で昨日の運びとなりました。

最近、結婚式は神社や教会で行われたり、披露宴の会場で行われたりしていますが、昔はほとんどが自宅で行われていたわけで、当然、式の報告は、親族同様ご先祖さまにも行われておりました。

昨日の結婚式も、お寺の本堂に両家ご先祖のお位牌も祀られ、親族、ご先祖の見守る中、厳かに式が進行され滞りなく務めさせていただきました。

最近のお寺は、どうしてもお葬式や法事のイメージが強いと思われていますが、結婚式もお寺で行っているということはあまり知られておりません。

私も一乗院の本堂で結婚式を挙げさせていただきましたが、親族、ご先祖の見守る中での何ともいえない雰囲気を今でもよく覚えております。

実は、その私たちの結婚式を観ておられた檀家さんが、是非自分もお寺で結婚式をしたいと仰って、一乗院本堂で式を行ったことがありました。

お寺は昔から寺子屋などを始め、地域に密着した存在であったのですが、時代が進むにつれて、学校や公民館等の施設にその役割が移行していきました。

そういった意味でも、お寺の持ついろんな要素の一つが結婚式場であろうかと思うわけです。

うちのお寺もこれから先、様々な形で地域社会に貢献できれば幸いです。

 昭和51年(1976)3月、南串山「一乗院」は、同町内「宗教法人延命寺」を吸収合併。「宗教法人延命寺」の檀徒の位牌を当山位牌堂へ移転した。
 又、同年、雲仙「釈迦堂」は独自で庫裡(集会所)を建設。
 昭和54年(1979)、雲仙「釈迦堂」は、『観光と信仰のメッカに』とのキャッチフレーズで京都大学教授、大森建二工学博士を招いて釈迦堂再建を計画。それを機に、雲仙「釈迦堂」が本坊「一乗院」管轄下という状態では、釈迦堂再建に支障をきたすと言う理由で、雲仙「釈迦堂」独立の気運が高まり、同年6月、本坊「一乗院」は雲仙「釈迦堂」より独立の要請を受ける。
 それに伴い、南串の本坊「一乗院」の住職及び総代と、雲仙「釈迦堂」の関係者との間で数回の会議が持たれ、同年9月25日、本坊「一乗院」が独立を容認した場合の旧「釈迦堂」の山号寺号は「雲仙山満明寺」、住職は福田宥定師とすることで双方合意。
 そして、同年10月13日の一乗院総代総会の決議にて「釈迦堂」の独立を容認すること、及び「釈迦堂」独立の際に本坊「一乗院」が寄付する財産の処分を決定。同年10月15日、本山に財産処分承認願いを提出。同日、処分する財産を檀信徒、利害関係人に公告した。同年11月1日、本坊「一乗院」は雲仙「釈迦堂」に対し、寄付証明を提出。この時「温泉山一乗院」から「雲仙山満明寺」に、寄附された主なものは、境内地、釈迦堂・宝物殿・集会所の建造物、釈迦大仏及び脇仏等であった。
 尚、「一乗院」は、本山からの財産処分の承認書を、同年12月23日付で受けている。
 よって「温泉山一乗院雲仙釈迦堂」は、昭和55年(1980)1月、真言宗御室派総本山仁和寺の認可を受け、南串山「温泉山一乗院」より正式に独立し、「雲仙山満明寺」として活動を開始し、当山一乗院とは法類寺院となった。

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お寺の本堂横の畑に菩提樹が植えてあります。

この菩提樹という木はお釈迦様がこの木の下で冥想に入り悟りを得たことから、悟りの木、つまり菩提樹と呼ばれるようになったといわれております。

日本で一般的に菩提樹と呼ばれている木は、一乗院にあるインドの菩提樹とは種類が違います。

そのような珍しい木がなぜ一乗院にあるのかといいますと、私副住職が佛教大学大学院修士課程を卒業する際、当時非常にお世話になった二人の先生から京都で勉強した記念にといただいたものが大きく育ったのです。

その先生方とは吹田隆道先生と工藤順之先生で、最近では平成18年3月に発表された「『般若心経』は中国偽経か?」の論文等で『ウィキペディア』にも出ております。

工藤先生はインド留学のご経験があり、インドより帰国される際、お釈迦様が悟られた菩提樹の苗をわけてもらい、日本に持ち帰って、吹田先生と大切に育てておられ、その木の子供を私に下さったわけです。

いわば、うちにある菩提樹は、実際にお釈迦様が悟られた菩提樹の子孫であり、お釈迦様の息吹を感じることが出来る数少ない史跡だと思います。

菩提樹はインドの木ですので寒さに弱いようで、常緑の木と言われているにもかかわらず、うちの菩提樹は冬になると葉が落ちてしまいます。

しかしながら、温暖な長崎では京都より条件が良いようで、京都の親木はまだ小さいとのことですが、うちの菩提樹は親よりも大きくなって、まだまだ成長を続けております。今では長崎の暖かい太陽のもとで、夏場にどんどん成長して写真のように大きくなりました。

お寺におまいりに来られた際には是非一度ご覧になって下さい。

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