ichijyoin0805のblog

2009年05月

昨日、いつものごとく三人の息子を保育園に迎えに行った時、その悲劇は起こりました。

三男坊がまだ11ヶ月なので、必然的に三男を抱っこして高台にある保育園から駐車場まで坂道を降りるのですが、昨日は長男が先に帰る友達を追いかけて、いつも走るなと注意している坂道を駆け降りて行きました。

それを見ていた二男坊も、遅れてなるものかと走り出した直後、いつかは転ぶだろうと思っていたその坂道で前のめりに転倒し、左のヒジを骨折してしまいました。

これで息子達も反省してくれればいいのですが・・・。

不幸中の幸いといえば、昨夜、夜9時前に連れて行った病院の宿直の先生が整形外科の先生で、骨折したことがすぐに分かり、適切な処置をして下さったこと。さらには今日紹介状をもらって連れて行った病院の先生が、手の手術では評判の名医で、手術は免れないと思っていたケガでも手術を回避出来たことは本当にラッキーでした。

一週間ぐらいの入院を覚悟していましたので、その間のお寺の檀務をどう乗りきろうかと、昨夜は様々なシュミレーションを行いあまり良く眠れませんでした。

家族が皆健康であることは、あたりまえのようで、幸せなことです。頭では分かっていても、実際そういった状況にならないと、感謝の気持ちが生まれませんね。私自身も反省です。

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今日はお寺の檀務がなかったので、雲仙にあります一乗院歴代住職墓地の掃除に行ってきました。

前にも述べましたが、一乗院は明治2年に神仏分離・廃仏毀釈のために、雲仙の本坊を破壊され、当時末寺であった、現在の場所に本坊を移転致した経緯がございます。

明治2年の本坊移転当時は十四世の時代でしたが、十四世から十七世の先々第までは、本坊となった南串山の住職を譲ってからは、雲仙に隱居するのが習わしとなっていました。よって、島原の乱以降、中興弘宥和尚によって再興されてから、現在の住職(私の父です)で十九代になりますが、十七世までは雲仙の地に墓があります。

先代の十八世の時代に、雲仙釈迦堂が独立し、新たな宗教法人満明寺となりましたので、十八世以降は南串山に墓がつくられるようになりました。

雲仙の墓地には、住職以外にも、住職になることのなかった僧侶の方々の墓もあり、28基の墓があります。この地を訪れるたびに、現在の一乗院に携わっている自分たちの責任の重さを痛感し、身の引き締まる思いです。

墓の掃除が終わったあとは、ツツジが見ごろになっている仁田峠まで足を伸ばしてきました。

 今日は、久しぶりにお参りの無い日だったので、福岡国立博物館まで足を伸ばして特別展「聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝」を見てきました。

 大学4年の時、私は二週間程チベットの仏教遺跡の視察に行った経験があります。チベットは、その地形ゆえに、仏教伝来以降、その当時の面影を色濃く残しているということで、仏教学者の熱い視線を浴びておりました。今から十五年程前のチベットは、鉄道などはもちろん開通していませんでしたし、まだまだ田舎そのものといった感じで、標高三、七〇〇メートルにそびえる巨大なポタラ宮殿が、ラサの町を見下ろしているのが印象的でした。

 日本に於ける真言密教と同じくチベット仏教も密教ですが、日本には、お大師さまや伝教大師がインド中期密教を伝来したのに対し、チベット密教は、それよりももっと時代が進み、よりヒンズー教の影響を受けたインド後期密教が伝来しています。よって日本で見ることのできる仏像とは、かなり違った表現の仏像ばかりです。

 十五年前、私にバター茶を飲ませてくれた現地のおじさんは元気でいるのだろうか?
  私たちと一緒にあめ玉を食べていたあの女の子は無事だろうか?

 どうか、一日でも早く、チベットの人々が清らかな信仰の下で平和に暮らしていける日が来るのを祈念しております。

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