ichijyoin0805のblog

2009年07月

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昨日、今日と大雨で、あちこちで水の被害が出ているようです。皆様のところは大丈夫ですか?

今月の20日、お寺の石垣掃除をしていただきました。毎年、西越崎地区の檀家さんが、4名来てくださって、写真の石垣の草掃除をして下さいます。この石垣は、200年ほど前に築かれたと言われており、記念碑には文化5年の年号が見受けられます。

25年前の本堂再建時の調査で、二重の石垣になっていることが分かりました。強度を出すために二重にしたのか、または一度目の工事がうまくいかなかったから二重目を築いたのかは不明ですが、恐らく前者ではないかとの専門家の話でした。

200年前にこの石垣を築く際、越崎の方々が尽力されたとの言い伝えがあり、現在も西越崎の方々によって掃除がなされていることに深い縁を感じずにはいれられません。

掃除をして下さった西越崎の皆様、本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。

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京都・高野山参拝パート3です。

高野山では奥の院のあと伽藍を参拝しました。今年はいつもより時間がありましたので、伽藍の大塔を内拝しました。

宿泊は、私副住職が大学時代にお世話になっていた龍泉院です。ご住職ご夫妻と、副住職さんに久しぶりにお会いできて懐かしさと時間の経過を感じました。

最終日の9日は、大阪天保山の海遊館に行ったあと、神戸港クルーズを楽しんで、伊丹空港より長崎へ帰りました。道中、病人も無く、全員元気で帰れましたことを感謝いたしております。

また、2年後ぐらいには団参を計画しようと思っておりますので、今回ご縁のなかった方も、毎回おなじみの方も是非ご参加いただければと思っております。

参加者の皆様お疲れ様でした。

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団参のパート2です。7日の夕方には一乗院の本山であります世界遺産 仁和寺へ入りました。
一乗院の住職が財務部長をしておりますので、当山住職の案内で仁和寺を参拝致しました。
最初の写真は仁和寺御殿から望んだ五重塔です。檀信徒の皆様も住職との再会を喜んでおられました。
住職もまた、待ち遠しかったようです。

8日は国宝の仁和寺金堂での朝勤行に参加をし、一路、高野山へ。

高野山ではなじみの案内人さんのもと奥の院、伽藍を参詣致しました。

三枚目の写真は当山に磬子を寄付して下さった島原城主の墓の前です。

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去る7月7日~9日、京都・高野山参拝旅行を計画致しましたところ、当山一乗院の檀信徒の皆様から40余名の参加者があり、私も同行させていただきました。

7日は西国観音霊場の札所の三室戸寺、世界遺産の平等院、東寺を参詣し、当山の本山であります仁和寺内にあります御室会館へ宿泊致しました。

続きは後ほど掲載させていただきます。

今日は八幡会物故者追悼会に導師として行って参りました。八幡会は、一乗院と同じ南串山にあります八幡神社の神官さんが理事長をお務めの社会福祉法人で、保育園、グループホーム、知的障害者入所更生施設等を経営されております。

詳しくは

http://www.hachimankai.or.jp/index.html

をご覧下さい。

施設の中で、特に知的障害者入所更生施設に於いては、八幡会の数十年の歴史の中では施設にてお亡くなりになった方もいらっしゃるので、数年前より当山一乗院へ依頼があり、7月の初めに毎年八幡会のあけぼの学園にて八幡会物故者追悼会を厳修する運びとなったわけです。

八幡神社と一乗院には深い縁があります。それは、一乗院の本坊がまだ雲仙の温泉街にあった江戸時代には、共に一乗院の末寺、金蔵庵(八幡神社)、歓喜庵(現在の南串山一乗院)として活動しておりました。

不幸なことに、明治政府が発した神仏分離令に端を発する廃仏毀釈により、明治2年、雲仙の一乗院本坊は雲仙の温泉神社と分離され、更にはことごとく破壊され、南串の現地(歓喜庵)に本坊を移転しました。それと時を同じくして、金蔵庵は寺院のままでは破壊される恐れがあったのか、神社に改められて、現在に至っております。

歴史の流れの中で、再び仏教と神道、そして一乗院の末寺であった金蔵庵と歓喜庵の親交が深められていくこの行事の重要性をかみしめながら、心をこめて読経をし、八幡会の理事長さんをはじめ、役職員の皆様と、語らう時間をもてたことは本当に貴重な時間でした。

来年も、またその次の年も、この貴重な時間が持てますことを切望して止みません。

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