9月に本堂十三仏欄間の打ち合わせにバリ島に行った際、インドネシアのバリ島独立の英雄、一乗院檀徒 荒木武友さんをお祀りしてある慰霊碑をお参り致しました。

荒木さんについては、以前このブログで詳しくヨメがのべておりますので、そちらをご参照下さい。


昨年、初めて松井・荒木慰霊碑にお参りさせていただきましたが、衣と念珠を持ち合わせていなかったので、きちんとしたお勤めが出来なかったのが心残りでした。

今回は十三仏欄間の打ち合わせが主な目的でしたが、短い滞在時間の中で何が出来るかを自問自答した結果、やはり荒木さんの菩提寺の住職として慰霊碑にお参りすることを選択し、十三仏欄間を発注しているビダ・ダリ社長のスディアナさんと奥様に無理を言って、再び慰霊碑の前に立つことが出来ました。


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理趣経を読経しつつ、何か御詠歌をお唱えしようと考え、思わず口から「やすくに」が出ました。荒木さんは旧日本軍兵士です。故郷長崎を出征される際には、おそらく同僚達と「靖国神社で再会しよう」と語り合ったのではないでしょうか。

しかしながら、荒木武友さんは、戦死されたにも拘わらず、日本兵としての戦死ではなく、オランダとのバリ島独立戦争でバリ島の人間SUKURIとして命を落とされたため、靖国神社には祀られていないはず。

でもその胸中には故郷を思う気持ち、そして先に散っていった同僚達が祀られているであろう靖国神社に対する思いがあったのではないか。
そんな私の勝手な思いが御詠歌「やすくに」として出たような気がします。

うろ覚えの「やすくに」なので、間違いだらけの御詠歌だったと思いますが、菩提寺住職としての私の気持ちは伝わったのではないかと思っております。

その後、夕食まで時間が少しあったので、その地域で荒木さんを知っている方がいるかもしれないということでビダ・ダリ社長夫妻のご厚意で、近くの村長さんや地主さん宅を数件尋ねてまわり、最後にたどり着いたお宅で、プリヌ村の王族、イダ・ラトゥ・リンシェル・プリグラさんに会うことができました。氏は、かつて荒木さんと共にオランダ軍と戦った方の息子さんで、何と松井・荒木慰霊碑の建つ土地の提供者でもありました。

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プリグラさんは、父から伝え聞いた荒木さんの話をいろいろして下さり、いくつか新しい事も知ることが出来ました。

まず、慰霊碑はプリグラさんのお父さんが荒木さん、松井さんと「この作戦が成功したら、貴方たちの記念碑を建てましょう」と約束していて、それを聞いていたプリグラさんが土地を提供し、地元住民の寄付により1997年に完成したこと。

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慰霊碑の場所は、デンパサール付近まで侵攻してきたオランダ軍を砲撃した砲台があったということ。

機械に詳しく武装解除した日本軍が横流しした銃器の使用法をバリ島の人々に教え、銃を修理し、時には車でさえも修理したこと。

現在に至るまで半年に一回、独立戦争を戦った軍人さん達を招待し、慰霊祭を行っていることが新たに解りました。

バリ島で今も尚、半年に一回、荒木さん達の慰霊祭が行われていたのです。

日本国軍人としてバリ島に駐留し、バリ島の人々に植民地支配からの独立の精神を伝え、没後70年近く経っても地元住民から感謝され祀られている日本人、荒木武友氏。

私はこの事実を日本の方にも知っていただきたい。

またバリ島を訪れることがあったなら、荒木さんに懐かしい故郷の寺で読まれているお経を聞いていただきに慰霊碑を尋ねます。   合掌