気がつくと4月ですね。お寺近辺の桜も満開です。桜はいいですね。
さて、ヨメにブログの更新を任せっきりだったので、たまには書きなさいとのことです。かといってネタがあるわけでも無く、過去ネタの紹介をさせていただきます。

昨年、「仏さまと出逢う旅」と題したインド旅行を御詠歌で一緒になる岡山の友人が企画し、お誘いを受けました。お釈迦さまの足跡を旅するだけの旅行なら、お断りしていたかもしれませんが、今回は、前述のお釈迦さまが悟りを得られたブッダガヤの菩提樹の下で法要を行うと言うのです。私は迷わず参加を決めました。

インドは仏教が生まれた国ですが、十二世紀頃にイスラム教によるインド征服が行われ、イスラムが去った後、現在ではヒンズー教が約八割を占めております。仏教はと言いますと、一時期滅亡していましたが、アンベードカル博士が始めた仏教復興運動によって徐々に信徒数を増やし、現在では日本人の佐々井秀嶺上人がインド仏教の指導者として一億人とも言われる仏教徒を率いていらっしゃいます。
その佐々井上人も今回の旅にご同行下さり、しかも佐々井上人の働きかけによって、ヒンズー教が管理しているブッダガヤの菩提樹の下を3時間我々に開放し、その地で法要を執り行うという前代未聞の旅行でした。

インドは二十年程前、密教系の遺跡の発掘現場を中心とした旅行に同行した際に訪れたことはありましたが、お釈迦さまの四大遺跡(前述のルンビニー、ブッダガヤ、サールナート、クシナガラ)には足を運んでおらず、願ってもない旅行でした。

ブッダガヤを訪れる前に、真言密教第二祖の金剛薩(た)が第三祖の龍猛菩薩に教えを伝えられたとされる「南天の鉄塔」に行って法要を行いました。南天とは南天竺、つまり南インドで鉄塔とは褐色煉瓦を積み上げて出来た塔を遠くから見ると錆びた鉄のように見えるから南天の鉄塔と呼ばれたそうです。この鉄塔、佐々井上人が発見、発掘されましたマンセル遺跡の中にあります。インド仏教は前述の如く、イスラムの侵入により破壊、滅亡しました。そのイスラムの侵入の際、いくらかの仏教遺跡はイスラムによる破壊を免れるため土中に埋めたものもあるとのこと。もしかしたら、この鉄塔もその時に埋められたものではと思いを馳せます。
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南天の鉄塔の頂上まで上り、まず懺悔の百礼。我々真言僧侶が行う礼拝とは、頭、両肘、両膝を地面に付けて行う五体投地礼です。炎天下の中、煉瓦の上でまさか本当にやるとは思いませんでしたが一人の脱落者もなく無事終了。それから全員で、在家の参加者もいらっしゃるので仏前勤行次第を中心とした法要。どうもこの法要で日焼けしたらしく、その後は顔がヒリヒリでした。

ブッダガヤに着いたのは夜でした。先ず向かったのはスジャータのストゥーパ(仏塔)。お釈迦さまは苦行でボロボロになっておられた時に、村娘スジャータの乳粥の布施により気力が回復し、それから菩提樹の下で悟りを開かれたと言われますが、スジャータのストゥーパ(仏塔)も立派でした。

翌日の大菩提寺(お釈迦さまが悟られた菩提樹のある寺)での法要のお逮夜法要をスジャータのストゥーパ(仏塔)で行いました。瞑想の後、御詠歌奉詠、ランタンの灯りの中での万灯万華和讃の四部合唱は良い記念になりました。法要終了後、大菩提寺へ。
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大菩提寺はすでに閉じられていたので、参拝入口前で法会。幻想的な大菩提寺の仏塔を仰ぎ見ながら御詠歌世尊二部合唱を奉詠。ホテルに帰り夜中の夕食、明日の本番に備えます。

二月九日、いよいよ菩提樹下での法要当日、朝六時より九時までの濃密な時間。岡山から持って来た曼荼羅を菩提樹の前に掛け、仏具を準備し、まだ薄暗い中法要が始まりました。曼荼羅を掛けた菩提樹前の柵は、オウム真理教の麻原彰晃が中に入ったため設けられたとのこと。

佐々井上人も我々の法要に参列され、読経、声明が菩提樹の廻りに響き渡る。不思議に緊張感もなく、程よく力の抜けた気持ちのいい法要でした。
同行のインド専門の旅行社の添乗員さんも、この菩提樹下で法要が出来ることは奇跡のようなもので、佐々井上人のご尽力無しでは考えられなかったと言われておりました。

ブッダガヤで佐々井上人と別れ、ベナレスヘ。ベナレスはインドでは聖なる川と言われるガンジス川にてヒンズー教徒による沐浴が見られる場所。朝五時半よりホテルを出発してバスでガンジス川の近くまで移動し、バスを降りて川まで歩きましたが早朝にもかかわらず物売り、物乞いがすごい。そして牛。ヒンズー教では牛は人より偉いので、町中にも牛が闊歩しております。そうなれば牛も生き物ですので出るものも出るわけで・・・。それらを避けながら川まで辿り着き、日の出とともに沐浴が始まるのでボートに乗って川辺を見学。インドに行く前は、ガンジス川は聖なる川と言われるので美しい川かとも思いましたが、その期待は見事に裏切られ、濁った水、とても日本人はその水に足を入れることすらためらうような水でした。

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川辺には、沐浴する人、洗濯する人、泳ぐ人、船で物を売り来る人、火葬場が川辺に隣接していて火葬した灰を川に流す人たちがいて、これがインドの普段の生活なのだとあらためて感じました。インドの人々にとって人の死、それすらも通常の状態なのです。

ガンジス川を見ていて、ふとお釈迦さまが、現代の日本にお生まれになったら悟りを得ることが出来ただろうかと考えさせられました。

すべての命が何者にも替えがたい大切なものだという究極の平等を説いた仏教。その教えは現在でも稀に見る階級社会であるカースト制度の国インドで生まれました。カースト制度では、職業を選ぶことすら許されず、その中で一生を終える人が大多数を占めます。
佐々井上人を中心に、少しづつではありますが、インドに仏教は再び浸透してきております。
お釈迦さまが悟りを開き、龍猛菩薩が密教の教えの基礎をつくり、大陸を経由して仏教が日本に伝来し、お大師さま(弘法大師空海上人)によって真言密教の教えが完成し、我々真言宗僧侶によってそれは受け継がれております。

そして今回、岡山の阿形師のインドのお釈迦さまに日本で受け継がれている真言密教の教え、声明、御詠歌を見ていただきたいという強い願いが我々仲間の心を動かし、今回の旅が実現したわけでした。

私も真言宗僧侶として、一生の思い出となる貴重な経験をさせていただきました。この思いを糧に、今後の宗教活動に繋げてゆきたいと思います。 合掌