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2016年06月


日本最大級で最高級の御詠歌公演。

九州詠歌青年会による御詠歌公演『阿字の道』



チケットは7月1日より発売開始!




僧侶が唱える御詠歌とは
真言密教が教える道とは

感動と
感激と
癒しを

是非、福岡に来て観て聴いて感じて下さい


テラのヨメ



早いもので、今年も約半年が過ぎようとしております。
平成28年という年は、一乘院とバリ島をつなぐ、ひとつの記念すべき年と思っております。
昭和20年に始まったインドネシア独立戦争。
インドネシアという国をオランダという大国から救うべく、一乘院檀徒である荒木武友氏が参戦し、
翌年の21年11月20日、バリ島という小さな楽園で命を落としました。
それから今年で70年目の節目を迎えます。



今、檀務をしながら、7月3日から7日までの3泊5日のバリ島への団体参拝旅行の準備をしております。
なんせ、一乘院初の海外団参です。期待と不安を抱えての準備です。



今回の目的は2つ。

一つはバリ島のビダ・ダリ工房に発注している、一乘院本堂十三仏欄間の制作途中経過の視察。

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もう一つは没後70年を迎えられるインドネシア・バリ島独立戦争の英雄、一乘院檀徒の荒木武友氏の追善法会を執り行うこと。


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併せては、ビダ・ダリ工房に新たに建立された聖地BIDADARI MANDALAの落慶法会も執り行うことになりました。


今回の団参では、ビダ・ダリ工房の社長のスディアナ氏ご夫妻が、バリ島での法会の準備をして下さっておりますが、
その過程に於いて、荒木武友氏に関する新たな事実が分かってきました。



以下にスディアナ氏の奥様・浩美さんが調べて下さったことをご紹介します。

昭和21年11月20日、バリ島のマルガにて、オランダ軍との戦いにより、独立軍ングラライと共に武友氏は戦死した。
武友氏は、最初、その激戦地であるマルガで埋葬された。

しかし、武友氏はポナルンガン村の村人なので,バリ式の葬式を行う為に、村の人たちはその武友氏の遺体を村に連れて帰った。
その時は、許可などいろいろな所に話を通すのに大変だったらしい。
そして、ポネルネルガン村にて葬儀を行い、その地に埋葬した。


再び、1963年に武友氏の葬儀を村の方々で行った。
その時に現在のLPD(協同組合銀行)の場所に小さな祠を作った。
それが「家」という意味だった。
そして、掘りだしてきた遺体を,LPDの祠においた。
葬儀の準備をLPDのところで行い、戦士の式典をした。
その際、腕時計(チトス?)がまだ遺体の腕に残っていたらしい。

そして、バリ式の葬儀で遺体をまた葬儀の場所にもう一度運び、火葬をした。
その時、日本からの出席者もいたという。
そして、LPDの近くの小さな祠が「家」という事になっている。
その後、庁舎が移動したので祠と埋葬された灰も一緒にだしてきて、
バリ島の僧侶による儀式をし、今ある祠の場所である、幼稚園と中学校の前に移した。


その祠の名称を、スクリスクラ記念塔と名付けました。


この情報は、現地にまだかろうじて残っておられる武友氏の葬儀の喪主であった生き証人の方からのものだそうです。

今回の7月4日の追善法会には、武友氏の葬儀を出して下さった村人たち、
インドネシア・バリ島独立戦争の退役軍人の方々もご参列いただけるとのことで、法要終了後には、いろいろな話を直接聞けることになります。

この法要には武友氏の血縁者でもあり、武友氏の路木のご実家の後継者でもあるご夫妻も参加されます。

武友氏を縁として、インドネシア・バリ島の方々とも話が出来るのを楽しみにされているそうです。

また昨日は、前述の浩美さんが以前私が書いてお送りしていた手紙を持って、バリ島の日本国総領事館に出かけて下さり、
今回の法要の趣旨をお話しいただいた結果、総領事も法要にご参列下さり、
ご挨拶をいただける運びとなりました。

大東亜戦争当時、日本は昭和20年8月19日に統治下にあったバリ島を含むインドネシアの独立を約束していました。
しかしながら、その4日前の8月15日、日本は連合国に敗戦したためインドネシアの独立は反故になりかけました。
そこで、後のインドネシア大統領となるスカルノ氏らは旧日本軍前田精海軍少将の公邸にて独立宣言の打ち合わせをし、連合国の了解を得ること無く8月17日独立宣言を発表しました。

今までインドネシアを植民地としていたオランダは、それに納得せず再びインドネシアを植民地とすべく武力による侵攻を開始し、インドネシア独立戦争が勃発しました。
日本軍は敗戦によって武装解除され、日本兵は故郷に帰国することになりましたが、インドネシア全体で約2000人の日本兵がインドネシアを独立に導くため、インドネシアに残留しインドネシアの人々とともにオランダと戦いました。
バリ島でもその戦いが繰り広げられ、その先頭に立って戦ったのが、一乘院檀徒の荒木武友さんだったのです。

荒木さんに関しましては過去のブログを参照下さい。



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日本人でありながら、バリ島独立戦争に参加し、
命をかけて戦い抜いた日本兵の事は、
彼らが生まれ育った日本ではほとんど話題にならない話です。

しかし、バリ島では今でも半年に一度慰霊祭が行われるほどの英雄なのです。

この度、バリ島での法要の準備を行うにつれ、
御詠歌を始めたこと、
初めてバリ島に行ったこと、
その直後に荒木氏の実家での法事に行ったこと、
スディアナ氏ご夫妻と出会ったこと、
十三仏欄間を発注したこと、
バリ島の日本国総領事館に招かれたこと、
バリ島に団体旅行を計画したこと等、
これらすべてが7月4日の法要に向っている、何だかバリ島に引き寄せられている感じがするのです。

様々な縁によって我々は生かされております。その縁が複雑に絡み合い、我々はこの度バリ島に赴きます。

今回の旅もまた、日本とインドネシア・バリ島の未来のため、きっと意味ある旅になることでしょう。

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         泰仁   


こんにちは、テラのヨメです。

築30年以上経過した一乘院本堂ですが、
劣化がだいぶ目立つようになりました。

なので、メンテナンスが必要となります。

参道にある掲示板も
毎日雨風台風に曝され、

潮風で腐食が進み

今年は新しく購入しました。



また、本堂・外陣の天井から下がっている天蓋ですが、

垂れ下がっている金色のシャラシャラ部分


ある日突然・・・・


切れました。


ぷっつりと。



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たまたま、
本堂でのお勤めが無い時間帯で、

金色の部品が畳の上のあちこちに散乱し、

大きな被害は特にありませんでした。




これがもしも法要の最中だったら、

確実に御詠歌隊のおばちゃまの頭上に
命中していたので・・・


良かった・・・


ただそれだけでした。

仏のご加護のおかげです、と。




しかし、メンテナンスは必要ですので、
至急、福岡の仏具屋さんに電話しました。


  ヨメ もしもし、長崎県雲仙市の一乘院と申します。
      いつもお世話になっております。
 
      突然ですが、本堂の金色のシャラシャラ部分糸が切れまして、
      修繕してもらいたいと思うのですが・・・

  仏具屋失礼ですが・・・金色のシャラシャラって
      なんでしょうか・・・?




金色のシャラシャラ部分

正式名称、瓔珞(ようらく)と言います。

寺院内にある荘厳具の一つです。

瓔珞とは、サンスクリット語で
「真珠の首飾り」という意味で、
ほとけ様の装身具や、天蓋や幢幡に飾られている
煌びやかな装飾品の事です。


無知なテラのヨメ、一つ賢くなりました。


実際に現物を仏具屋さんに見てもらい、


吊してある糸の交換と、

ついでにだいぶくすんでいたので、
金色のシャラシャラピカピカにと
クリーニングもお願いしました。




ちなみに同じように劣化していると思われる
本堂・内陣部分の

長い金色の筒に付いていた
かなり長い金のシャラシャラも、
メンテナンスしてもらいました。

長い金色の筒みたいなのは、
正式名称・幢幡(どうばん)といいます。

この幢幡とは、もともと、仏さまの徳を現す籏のことで、

要するに仏さまの目印となるモノです。

籏なので、布製のモノもありますが、
一乘院は金の筒です。


天蓋の瓔珞の糸が切れたので、
幢幡の瓔珞もメンテナンスに出しました。



その間二週間・・・



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暗いです・・・|||(-_-;)||||||



荘厳具の一部が無いだけで、
とっても暗く見えます。。。

あって当たり前と思っていただけに、

いざ無くなると、

こんなにも寂しい気持ちになるものとは思いませんでした。







この様に



メンテナンスが必要な仏具もあれば、
近年、一乘院の仲間入りした仏さまもいらっしゃいます。

七福神の神様です。

一乘院内には、
聖天堂に
毘沙門様弁天様が安置されています。



そして
一乘院に一昨年、
七福神の神様がやってきました。
恵比寿様です。

バリ島からご来院されました。




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本堂十三佛欄間を発注しているビダ・ダリ工房の社長さんから、

「これ、バリ島に来た記念ね☆」

と、長男が恵比寿様をもらってきました。


そして去年、バリ島に二男が行った際には、
大黒様をもらってきました。






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七福神ですから、
七体必要です。
あと五回、バリに行く機会に恵まれますようにと、

願掛けみたいな感じ、ですかね?







んんんんん~~~~~・・・・・





でも、この布袋様、
何となく親近感を感じるお顔立ち・・・
何だろう、誰だろう・・・






「  (゚Д゚)アァ!? 

    師匠!! 」












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うん、

「落語の起源は仏教のお説教にあった」

そんな言葉を
身を以て体現している

そんな落語家でお坊さん、

ウチの布袋様に手を合わせながら、


そんな親近感が湧いた
テラのヨメでした。










さてさて、

無事に二週間後、
本堂の瓔珞が全て返ってきました。


仏さまを安置する場所には、
その目印となるモノが必要だと、



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無くなって初めて、
再び対面して初めて
嫁に来て初めて

思いました。




                                      テラのヨメ












こんにちは、テラのヨメです。

遅ればせながら、春彼岸の内容です。

PMなのか黄砂なのか
微妙な曇り空の中

平成28年度の春彼岸会が一乘院で執り行われました。

今年の春のお彼岸は、閏年の為に20日(日)が彼岸中日となり、
子供達にとっては連休となりました。

正直に言いますと、寺の嫁には、
連休という言葉無縁です。

春も夏も秋も冬も、
学校はお休みでも、
役場がお休みでも、

お寺は年中無休です。





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                   《photo 井上克幸氏》

連休なので、実家に帰ってこられた娘さんと、
一緒にお参りに来られた方もいらっしゃいました。


沢山の檀信徒の皆様にお参りいただき、
誠にありがとうございました。





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                 《photo 井上克幸氏》



近年、巷はお坊さんブーム

イケメンお坊さんが恋をするという内容のドラマがありました。

四国の札所生まれの本屋の店員が
実家を継ぐためにお坊さんになったという映画もありました。

お坊さんのトーク番組もあります。


お坊さんを通して、

仏教や寺院に興味を持って貰えることは、
とても良い傾向とは思います。

ですが、
これが一過性のモノ終わらない事
願うばかりです。

地方の田舎の寺院で生活する
嫁の願いです。


この頃、息子達を通して、
保護者活動に参加する機会が増えました。
部活の送迎、部活の当番、PTA活動。

人見知りするテラのヨメですが、
出来る事は協力していこうと、
頑張っています。


でも、人見知りします。

ママ友と会話するだけで、緊張します。



なので、毎回法要の度に、

布教師の方にお茶の御接待をするだけで、
緊張します。




今年も彼岸会の布教師には、
岡山多聞寺・吉田宥禪僧正にお越しいただき、

法話をお願いしました。

吉田僧正、何度かブログに登場しますが、

現役の落語家です

落語家名・桂米裕師匠です。

歯切れの良い関西弁で話されます。


落語家で僧侶です



いつも御詠歌公演のナレーションを担当されていますが、

日本一の名司会と言えるぐらい
素晴らしい方です。




あがり症のテラのヨメ、

吉田僧正の前で会話をするのは、

緊張します。

目力、声の大きさ、体格に合わせて

存在感有り余ってます。

緊張します。


吉田僧正と直接お話ししても
会話の回転が速すぎで、

テラのヨメは、
必死です。

なのでとにかく緊張します。

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                             《photo 井上克幸氏》 



でも、



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                                                                          《photo 井上克幸氏》


笑う門には福来たる

実践しているお坊さんです。





テラのヨメ
















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